加古川武将隊

「加古川と言えば??」
かつめし、加古川・志方牛、日本毛織、コットン、いろいろあります。そんな加古川にも戦国時代があったんです。
加古川武将隊は、そんな加古川の武将たちをこの世に蘇らせたい。


加古川は、かつての播磨の国の一部で東播磨に位置し、中世、戦国期に地域を領していた国人が多くいました。
加古川、神吉、志方、野口、別府、神野、野村、井ノ口など、あちらこちらに城と城主がいました。
その国人たちには、そこにいる歴史があり、赤松・山名・浦上の争い、織田・毛利との板挟みを生き残るためのドラマがありました。

加古川近辺の城・寺社をチェック!! 「戦国記録帳」のトップページにある地図をご参照ください。


武将隊メンバー

メンバーは総勢4名(2018年4月現在)

加古川城主 糟谷朝正・武則

槽谷家は鎌倉時代、源平合戦の恩賞としてこの地を与えられて以来、この地を治めた国人。
織田・毛利との争いの時、東播磨地区は三木城別所氏の配下にありました。
兄・朝正は三木城に籠城、弟・武則は秀吉方となり、家名を存続させました。
武則は秀吉と柴田勝家が激突した賤ケ岳の戦いで武功を上げ、「賤ケ岳七本槍」の一人として賞賛されました。

 謎の白武者

 全身、純白・大きな鍬形の前立てと古式調の大袖甲冑姿の謎の白武者。
面頬を外した姿を見たものはいない。
 志方城主 櫛橋伊定

櫛橋家は源平合戦後に志方の地を領した武家。
播磨守護、赤松家の重臣であり、嘉吉の乱やその後の南北朝期の赤松復興の合戦に、常に赤松方として参戦し、忠義を尽くしている。
一方で、西播磨の御着小寺家の家臣、黒田職隆の子、官兵衛と娘の光(てる)姫を縁組させている。
三木合戦時は別所家配下として戦い、攻め寄せる織田家の大軍と戦った。落城後、黒田家の家臣となっている。

 大御所

生粋の加古川びと。
加古川のために、老体に鞭打ち、労苦をいとわない。
 神吉城主 神吉頼定

 

 

 

 

 

 

 

 

大御所

加古川の

 


<隊員募集中>
加古川武将隊は、加古川で活躍した武将たちに敬意を払い、その歴史を少しでも多くの人たちに知ってもらうために活動しています。

共感し、一緒に活動してくれるメンバーを募集中です。ご興味のある方は、お気軽に「お問合せ」までご連絡ください。


<活動状況>

2017年05月 三木「別所公春まつり」に参陣

2017年04月 志方町「中道子山城ハイキングツアー」に参陣

2016年12月 宍粟山崎「長水城まつり」に参陣

2016年12月 加古川寺家町商店街 年末「誓文払い」にて武者行列(姫路城甲冑隊様の援軍)

2016年11月 太子町「太子あすかふるさと祭り」に参陣

2016年07月 加古川寺家町商店街 第100回蚤の市にて武者行列

2016年06月 加古川武将隊 発足

 

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**顔出しNGの方は、ご連絡ください。すみやかに処理します。 武楽衆...

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