【戦国倶楽部播磨支部#2】加西エリア:善防山・笹倉・河内@猛暑


本年度の播磨支部2回目の活動です。今回は加西市を中心に城ブラ。

<今回の行程> 参加者:3名
09:30~12:00  善防山城
12:00~13:00   昼食@善防公民館
13:00~14:00  笹倉城
14:00~15:30  河内城

 


<嘉吉の乱の舞台、山名軍に対抗した赤松則繁の城:善防山城>
この山城は、加西市の善防公民館すぐ目の前の岩盤むき出しの岩山に築かれています。
トレッキングコースとしても整備されており、多くの人が行き交う場所ですが、山城は通過点の人が多いかもしれません。

登城口は多くあるようですが、今回は本丸登山口から登ります。ここまで公民館から徒歩10分程度ですが、すでに猛暑にやられます。
ちなみに、公民館で入手できるのは、この地図のみです。縄張り図は主郭の看板にあります。

御多分に漏れず、ここにも猪がいるようで、罠も仕掛けてあります。

ここは岩山。すぐに、直射日光とまるで岩盤浴かという下からの熱地獄の登山が始まります。

熱地獄を進むこと、1時間くらいか。ようやく城域に入ります。ここからは木々が繁る、普通の山城になります。
最初に到着するのは、一番東側の郭。石垣も少し残っています。

中央部の連結郭のような部分を通り過ぎ、西側の郭群に移動します。
縄張り図を見ての通り、東側がおそらく中世初期の城域で、西側は拡張された部分のように思います。
山頂主郭部は比較的広い郭があり、看板が設置されています。
主郭部入り口には、虎口を構成するかのような大きな意図的な岩が配置されており、その先に明確な切岸。

ここで、ドローンの試し飛ばしをしてみましたが、風が強く流されるので、うまくいきませんでした。
次回は成功するでしょう(?!)

主郭部からさらに東側のきれいに区画された郭群に入ります。すると、北側の斜面に土留めの石垣がきれいに残っていました。
そして、最西端の郭にはちょっとブッシュで分かりにくいですが、土塁跡がありました。
帯廓など、かなり遺構はそのまま残っているように思います。

最後に、南方面の尾根に伸びる、櫓台へ。櫓台といっても、巨石を物見として利用していたようです。
白旗城の櫛橋丸に似た感じですね。

最初に入った東側の郭を通り過ぎ、公民館方面に降りる烏帽子口で下山。
烏帽子型の巨石が目印ですが、この巨石から一旦、反対側の尾根の麓に降りる方に道が伸びています。
道がわかりにくく、烏帽子岩の先を進むと行き止まりで、足元も悪いのでお気を付けください。

公民館につくと、汗でぐちょぐちょ、蜘蛛の巣や土、岩で汚れた顔や手を洗って、昼食&休憩。

 


<赤松遺臣、南朝から神璽を奪う:清慶寺>
嘉吉の乱で赤松家が滅び、その遺臣たちは再興を試みる。その時に、北朝方からの指示で南朝の神璽を奪えば再興が叶うことになり、遺臣達は南朝に取り入り、皇子を弑し奉り、神璽を奪った。その御首が清慶寺に塚としてあります。

<在田氏発祥の地、笹倉城>
加西~西脇~多可方面に勢力を誇った、赤松家の系統、在田氏は、足利尊氏からこの地をもらい、スタートしたという。
現在は、草がうっそうとしており、その輪郭すらうかがうことができない状態。近々、整備をすることを申し出た。

 


<在田氏?別所氏? 河内城>
河内城は、一説には三木別所氏の祖となる別所頼清が築いたといわれるが・・・、あくまでも説。
ここはふれあいの森として整備されており、途中の東屋を超えて、もう1山登らないといけない。
東西に方形の郭を配置し、堀切で遮断している、シンプルな縄張り。あまり、ここでの戦は想像できない。物見や倉庫的な役割だったのでしょうか。

もう、暑くてしんどいです・・・。ってことで、ここでお開き!!

次回は、国指定に向けて頑張っている、利神城方面かなぁ??

 


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武楽衆の衆長です。 日本全国を戦国リアルシュミレーションの舞台とする野望を追究します。

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