備中高松城水攻めを検証@戦国倶楽部 feat. M氏


戦国倶楽部の関西支部部長M氏が主催する「備中高松城&岡山城見学会」に参陣。

播磨、摂津、和泉、山城から侍が集い、摂津神戸から一路備中高松へ。
現地備前・備中勢も合流し、まずは、備中高松城へ。

最初に、資料館に入り、水攻めの様子がわかるビデオを鑑賞。DSC_00112015-11-29 11.56.10

ここには宗治公の甲冑の写真が展示してありますが、資料館の方と会話したところ、これが本当に宗治公所用のものかどうかは確証がないとのこと。見る限り、大袖に星兜は南北朝期のデザインですが、籠手や佩楯、脛当などの三具がどちらかというと当世具足のデザインで、なにか違和感を感じます。
甲冑含め、貴重資料はすべて光市で保管されていて、ここにはほとんど無いそうです。
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その後、本丸へ移動し、清水宗治公の首塚を参ります。
いつも、墓碑を参るときは手を合わせて祈り、写真を撮ることのお許しを得ます。(ここは以前に行った際に撮らせていただきました)
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高松城は3・4度目くらいの訪問ですが、このとき、はじめて清鏡庵さんという老舗の和菓子屋さんがあることを教えていただきました。
さっそく、宗治饅頭と水攻め饅頭を購入。
饅頭もさることながら、注目すべきはその包み紙。水攻め図が描かれており、保存版となります。
ちなみに、お店はやさしいので、饅頭を包んだ紙以外に、お土産用にもう1つくれます。
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饅頭を片手に、次は宗治公の家臣が殉じて散った場所「ごうやぶ」と宗治公を乗せた船が自刃のために城から出てきたであろう場所にある「宗治公自刃の地」を訪問。
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ここで高松城をあとにし、水攻めのキーポイントとなる堤の跡を訪問。
今残っているのは、秀吉が本陣を置いた蛙ヶ鼻という山裾にあるわずか数メートルの土塁跡。
本来はここから西方3キロ先の加藤清正の陣まで高さ約9メートルの堤が延々と続いていたわけで、それは迫力のある光景だったんだろうなと妄想します。
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今度は、その堤に囲まれ、水浸しになっている高松城の後詰に来た毛利勢の陣地へ。
陣地はいくつかありますが、今回は小早川隆景家臣が守備した造山古墳へ。
その名の通り古代の古墳跡を簡単な陣地に変えていた場所で、遺構は写真にある土塁と外側に多少竪堀などが残っているようです。
ボランティアガイドの方の説明をお聞きしながら、遠く高松城を望みます。
拡大しないとわからないですが、右側の白い大きな建物の左端に大きな鳥居が見えますが、その少し左側が高松城。右端から手前を通って、左奥の加藤清正陣所まで大きな堤があったわけです。
ちなみに、左側手前の山裾が吉川元春陣所。
正直、高松城までそこそこ距離があるので、「遠巻きに陣を張った」という感じで、ここで決戦をするより、高松城を中心にした南は庭瀬城まで続く備中防衛ラインと瀬戸内海や山陰勢、四国長宗我部との連携など今後の策を思案していたのかもしれないな・・・と妄想します。
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次に、備中防衛ラインの最南端、撫川城&庭瀬城へ。
ジモピーなんで、城というより、懐かしさしかありません・・・・・。
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最後は、岡山城へ。
最近も宇喜多秀家フェスで行きましたが、再訪問。
秀家時代の石垣や地層の展示がここ最近できましたね。
ライトアップの期間中で、幻想的な城を最後に眺めて終了です。
(ほんとは、このあと焼肉懇親会なんですがね!)
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次回の戦国倶楽部ツアーが楽しみです・・・・。


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衆長

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武楽衆の衆長です。 日本全国を戦国リアルシュミレーションの舞台とする野望を追究します。

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