有馬湯治の立ち寄り宿、小浜宿(城)

阪急宝塚線の清荒神駅を下車。
福知山線の線路を渡って、南東方面に歩くこと、およそ15分くらいかな。

そこは、かつて有馬街道と京へ向かう伏見街道が交差する交通の要衝、小浜宿があったところです。
小浜宿は小浜城とも呼ばれ、一向宗の寺内町として発展した町です。
そのため、宿の周りは結構な幅のある川や堀をつくって要塞化しています。
入り口は結構幅のあるが水量は少ない川にかかった国府橋という橋をわたります。
そこが北門跡です。案内板があり、宿全体の要所がわかります。
実は、途中の和田家屋敷跡でガイドの人が話をしてくれたのですが、このまるで自然の川のようなもの、人口で掘削されたところみたいです・・・・・ようやるわ~。
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この宿は、寺内町。その中心が御堂であった毫摂寺。ひとまずそこへ向かいます。
ここには悲話があります。
この毫摂寺は秀吉が有馬湯治の際に宿舎として利用し、千利休が茶をたてたともいわれています。
甥の秀次も同様に宿舎として利用した際に、この寺の次女を側室にしたそうです。しかし、ご存知の通り秀次謀反事件で、秀次と共に京の六条河原で処刑され、この寺までも焼き払われたそうです。
復活したのは江戸時代。
中に入りましたが、本当に質素というか、御堂と奥に近代的というか洋風な社務所?がある、独特な雰囲気でした。
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ここに来る途中の角には正面玄関のような案内があります。
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少し足を延ばして、巨大なお地蔵さま(首地蔵様)に拝謁しました。
写真の中央よりやや上、石段あがりきったところにいらっしゃいます。
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帰りに、資料館に寄りました。ここには江戸期から近代の資料が展示されています。
1つだけ興味を引いたのはこの説明書き。
なんと、あの尼子の山中鹿之助盛幸の子孫がここにいらっしゃったんですね。
その後も酒造家や両替商などビジネスマンとして大成功しているようで・・・・。
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この日はこのまま摂津十三へ向かうため、このあたりで駅へ引き上げです。

 


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武楽衆の衆長です。 日本全国を戦国リアルシュミレーションの舞台とする野望を追究します。

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