明石氏の居城、枝吉城。


西明石駅を東西に走る21号線を駅から東へ向かうと、王塚台という交差点にするあたります。
その交差点を過ぎてすぐ、南へ少し入ると吉田郷土館と神本神社があります。

神本神社の裏の山が明石氏の居城、枝吉城です。
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神社の境内の右側に上に上がる道があり、そこを登ると本丸跡地の小さな公園があります。
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明石氏は、古くから明石郡を領有した地頭でした。
播磨の守護が赤松氏になってからは被官となり、明石郡を治めました。

この枝吉城の地は、すぐ南に西国街道が走り、淡路や三木とを結ぶ要衝の地。
応仁の乱で京都の三好長慶勢、その後、織田軍の秀吉勢などに何度も攻められ、そのたびに乱世を乗り切りました。

秀吉天下統一後は明石氏は秀次付きとなり出世しますが、秀次事件に連座となり、あえなく切腹となりました。

枝吉城は、高山右近が明石郡を領有し、船上城を築城する際に破却され、再利用されたと伝わります。
現在は、近代の区画整理でそのほとんどを削られ、消滅しています。


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武楽衆の衆長です。 日本全国を戦国リアルシュミレーションの舞台とする野望を追究します。

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