織田信長が羽柴秀吉を派遣し、播磨の国を奪い取ろうと攻めてきました。
その時、東播磨一帯を統治していたのが、三木城城主 別所氏 です。

別所氏は赤松家の流れを汲む家柄であったこともあり、明石、加古川、加西、加東あたりの国人領主はその影響下にいました。
その別所氏も織田家と毛利家の板挟みの中で、生き残りをかけてその運命を全うしました。
その時の城主、別所長治公を偲んで、毎年開催されているのが「別所公春まつり」。

その武者行列に「加古川武将隊」として参陣させていただきました。(2017年5月5日)



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