設楽ヶ原・長篠古戦場を体感する その1


設楽ヶ原・長篠古戦場に赴き、織田・徳川勢、武田勢がどのように陣を置いたのか、どれくらいの距離があるのか、馬防柵とはどんなものでどう使ったのか、両軍の距離感はどれくらいだったのか、など当時の様子を体感するべく徒歩で各陣所跡を点々と歩き回りました。

豊橋駅から飯田線に乗り、奥三河方面へ。
初めて聞く駅の名前を見ながら、東新町駅で下車。

まずは、駅から北上すること徒歩15分ほど、織田信長が最初に陣を敷いた場所へ。

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ここから東へ、徒歩10分、織田信雄陣所。

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やや南に徒歩5分、織田信忠陣所。

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さらに東へ徒歩5分、岡崎(松平)信康陣所。

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ここでもう一度北へ徒歩15分ほど向かうと、信長の第二本陣がある茶臼山。登山20分ほどかかったかな。

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いよいよ馬防柵のある戦場へ。

東の丸山方面へ。いよいよ馬防柵のある戦場へ。
茶臼山陣所から徒歩で工業団地を経由し、20分ほどかな。
柵は佐久間信盛陣の前あたりの10メートルほどが再現されています。実際は南の家康の陣の方まであったはずです。
馬防柵は、ただの柵ではなく、柵の前に空堀があり、柵の内側には土塁。その土塁に銃眼があり、そこから鉄砲を射かけていたという説明書きがあります。
確かに、こういう構造ならそう簡単に敵が柵を打ち破るのは難しそうです。
馬も堀の前で止まってしまうでしょうし、飛び越えたとしても柵にあたる、土塁に当たる、いずれにしても足がとまります。

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連吾川沿いに南に徒歩10分、高校のとなりの小さな神社が徳川家康の陣所。

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さらに南下し、菜の花畑を通り過ぎ、線路を渡ります。
線路を渡る前に鉄砲玉の発掘地がありました。

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線路から南へ徒歩10分くらい、ここに川路城という城があったそうです。
城主は川路貞通。菅沼、西郷と共に野田方三人衆と呼ばれ、この地域を治めていたようです。

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武田家:高坂弾正昌澄討死の場所

川路城から南に徒歩5分、住宅街を抜けると武田方武将、高坂弾正昌澄の墓所がひっそりとあります。昌澄は逃げ弾正昌信の嫡男です。

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そこから南東へ田んぼのあぜ道を進むと、先に藪があります。そこに、大久保忠世・忠佐兄弟陣所があります。

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この大久保陣の看板の藪の裏側には田んぼが広がっていますが、ここが武田方の赤備え、山縣昌景と大久保隊が激戦を行った地と言われています。抜けられないので、一度線路方面にもどり国道を東へ迂回してください。小さな碑なので見つけるのが大変です。
いまは長閑な田んぼですが、400年前、ここで数千人の兵士たちが恐怖を心に抱えながら、生死を競っていたんですね・・・。

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線路を渡り北上すること徒歩20分。
大きな道路の交差点付近に、首洗いの池がありました。

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武田家:山縣昌景墓所

ここから、武田方の武将の墓碑が続きます。
首洗い池の西側の道沿い小山、徒歩5分ほど。さきほどの激戦を演じていた山縣三郎兵衛昌景。

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武田家:小幡信貞墓所

北へ徒歩50分ほど、右斜め上に上る道路の途中に、武田二十四将の一人、小幡信貞。(討ち死には弟との説あり)

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武田家:原昌胤墓所

信玄塚に続く坂道の途中に、二十四将、原隼人昌胤。

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そして、両軍の戦死者を祀る、信玄塚。

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設楽ヶ原歴史資料館

信玄塚の真裏に、設楽ヶ原歴史資料館があります。
無数の鉄砲があり、鉄砲の資料館と言ってもいいですね。
「ここにしかないよ」という言葉に、思わず鉄砲巻きを買ってしまいました。ウマいし!
屋上からは、連吾川と馬防柵を一望できます。

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まだまだ北へ向かいます。連吾川の東側は武田の陣所。
多くの将の墓碑があります。

武田家:甘利信康墓所

資料館から坂を下ったところに、甘利信康。

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やはり、このあたりは主戦場。激戦があちこちであったんですね。

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武田家:高森恵光寺快川墓所

連吾川を渡ったところ、佐久間信盛陣の麓に、謎の武田方武将 高森恵光寺快川 という人のお墓が。誰なの?どうも、古くからの武田家の一族で出家して仏門に入った一族のようです。

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武田勝頼陣地(指揮地)

設楽ヶ原歴史資料館に戻り、正面の幼稚園をぐるっと回りながら登ると、武田勝頼陣地(指揮地)があります。

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武田家:横田備中高松(たかとし)墓所

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武田家:内藤修理亮昌豊墓碑。

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武田家:土屋昌次墓所

勝頼陣所から東へ徒歩10分ほど、土屋昌次墓碑。

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武田勝頼本陣地

ここから少し道沿いに北へ徒歩10分ほど行くと、大きな道路に面します。
その道を左(西側)へ徒歩5分ほど行くと、勝頼の本陣へ行く登山道があるのですが、藪っていて入れそうになかったので断念・・・。

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設楽ヶ原エリアはまだ行けてないところもいくつかあるんですが、次回の楽しみにします。

連吾川のエリアが、いわゆる鉄砲隊と騎馬隊が激突し、武田方の多くの将が命を落としたわけですが、正直、武田方の陣所から馬防柵までの距離は想像以上に短い。
馬が本気で走れば、ものの5秒もすれば到達できそうな距離。連吾川は当時どれくらいの川だったのか調べていないですが、結構小さな川、小川といってもいいくらい。

いくら鉄砲が数千丁あったとはいえ、数千の騎馬隊が突撃してくれば、持ちこたえるのは難しいと感じました。一般に言われている、鉄砲で好き放題打ちまくって圧勝したというのは信じられないですね。

考えられるとすれば、連吾川のあたりはドロドロした沼地だったので、それで足を取られてスピードが弱まったかもしれない。もしくは、それがわかっていたので、武田方は、最初から馬は降りて、徒歩で戦ったか?

そんな妄想をしました。みなさんも、ぜひ現地を見て妄想してください。
真実は現場にあります。

長いので、ひとまずここまで。
次は長篠エリアです。


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武楽衆の衆長です。 日本全国を戦国リアルシュミレーションの舞台とする野望を追究します。

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