【戦国倶楽部播磨支部#3】但馬遠征、山名攻め!


本年度の播磨支部3回目の活動です。今回は播磨を出て、北に接する但馬へ遠征。山名勢の城を攻めます。

<今回の行程> 参加者:5名
07:30        姫路駅集合
09:00~11:30  八木城
12:00~13:00  昼食@道の駅
14:30~16:00  朝倉城
17:30        姫路駅着


<但馬の石垣が残る名城の1つ、八木城>

但馬には、竹田城、有子山城、此ノ隅山城などの名城がありますが、今回は、養父市にある八木城を攻めます!

八木城は中世国人の日下部姓八木氏の城です。主郭部にはすばらしい石垣が残りますが、それは織豊期のものであり、中世の土の城と併存しています。秀吉の但馬攻めで八木氏が敗れたのちは、三木別所氏の系統である別所重棟が入りました。

 

朝7時半に姫路駅に集まり、いざ出発!

およそ車で1時間半、八木城下へ入り、麓の公民館が駐車場となっているので、そこに車をとめさせていただきます。
すると、目の前のお宅から女性が出てこられ、八木城のパンフレットをいただきました。どうやら、いつもここへ来る人がいるとパンフレットを配っておられるようです。山城は縄張り図が無いと楽しめないですし、歴史も簡単におさらいできるので非常に助かります。

まずは、公民館から徒歩5分ほどの資料館へ。人はいませんでしたが、入れました。中には、八木城の主郭部の石垣とその上に建っていたであろう櫓の復元模型があります。

さて、いよいよ登城口へ。少々急めの坂がしばらく続きます。歩くこと30分くらいでしょうか。八木城の最南端の秋葉様がいらっしゃるポイントに到着。

ここから6段くらいの郭が主郭に向けて続きますが、最初から郭の高さが非常にあります。見上げるとおよし10メートル近い?くらいです。

いよいよ主郭部へ。もう1つ柵を開けると、さっそく石垣がドーーーーンッ!!
自然にだと思われるが、ところどころは石垣が崩れています。修復できれば良いのでしょうが、それはそれで自然(もしくは破却?)のことであり、趣があります。
石垣は北側を除いて周囲を囲むように積まれています。南側は規模は小さいですが、3段になっています。主郭部の石垣は南側はやや幅のある石垣であり、渡り櫓のようなものがあったのかもしれません。

 

八木城は石垣の城だけではありません。北西側には土の城も残っています。

大きな堀切を隔てて、土の城へ向かいます。印象的なのは郭に虎口や土塁などが非常にきれいに残っていることです。柵があって、人がどのあたりにどのように守備していたのかとかとか・・・イメージがすごくわきます。

ひとしきり楽しんだら、下山。気づくと2時間近くは歩き回っていたようです。汗だくで車に戻ると、発砲スチロールの箱が車の前に置いてあります。ナンダコレ??
なんと、パンフレットをくれた方が、我々の下山を見計らって、冷たく冷やしたおしぼりを置いていてくれたのです!!!!! こんなお・も・て・な・しのある山城は人生初!!
実は、その後失くしたものまで保管していてくれて、大変、大変、大変、お世話になりました。感謝・感激です。但馬は、ええ国やなぁ。


<お昼>

お昼は、八木城近くのみちの駅で。せっかく但馬まで来たので・・・・私は但馬牛の牛丼を。
んでもって、せっかくなので、お土産も。


<一乗谷の栄華、朝倉家発祥の地、朝倉城>

朝倉家と言えば、越前一乗谷に本拠地を置き、足利将軍家を庇護し、織田信長と死闘を繰り広げた戦国大名の雄。
この朝倉家は、但馬のこの城が発祥の地です。ここで小さな領主として始まり、後に斯波家に取り入り、ともに越前へ移住したのです。

朝倉城はそこそこ急な山の上にあります。登城口の墓所から登り、途中から山になります。結構急な斜面を登ると、そこはすぐ主郭。真ん中に2~3メートル四方の高く盛った丘の上に旗が立っています。(半分切れていて、まるで落城したみたいになっているのは、残念・・・)

この北側には堀切を超えて、郭がいくつか続いており、3重の堀切が最後にありますが、草が生えていてちょっとみにくいかな。

 

以上で、但馬遠征の終了です。

但馬にはまだまだ良き城や史跡が多くありますので、また、機会を作って遠征したいと思います。
戦国倶楽部播磨支部は、参加者は誰でもWelcomeです。ご興味あれば、お気軽にお問合せ、参加ください!!


衆長

武楽衆の衆長です。 日本全国を戦国リアルシュミレーションの舞台とする野望を追究します。

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