<宇喜多秀家>
宇喜多秀家公、最近は結構有名になってきましたが、まだまだマイナー武将かな~。筆者は備中(岡山)の出身なので、秀家公には愛着を持っております!!
宇喜多家は元は備前守護赤松家の被官であった守護代浦上家の家臣にあたる家柄。下克上の戦国時代の中、赤松家の衰退後、浦上家など守護代やその家臣らが台頭する中、宇喜多家は主である浦上家を排除し、備前・備中・美作、合わせて50万石を超える領地を領する大名となりました。
それを成し遂げたのが、秀家の父、宇喜多直家公。謀略家としてドラマなどではニヒルで嫌な役で描かれていることが多いのが残念ですが、戦国の世ではどこでもあった生き残りの処世術だったと筆者は思います。
秀家公は嫡男として生まれ、幼いころに織田家家臣羽柴秀吉が侵攻してきた中で宇喜多家は家臣となり、秀家は秀吉の養子となり、後に若くして五大老に列するほど優遇されました。
そして、関ケ原。豊臣家に恩のある宇喜多家は忠実に西軍の一角となり、1万以上の軍勢を展開し、勇猛果敢に福島正則ら、本来は豊臣家に最も恩義のある武将たちと皮肉にも激烈に戦いましたが、最後はこれまた豊臣家の養子でもあった小早川秀秋の裏切り(諸説あり)で、一気に壊滅。敗走後は島津家に匿われたようですが、流罪となり八丈島で長寿を全うしました。
<宇喜多秀家フェス>
以前からあることは知っていたけど、ふるさとのくせに、なかなか参加できていなかった「宇喜多秀家フェス」。 ようやく、行けました。
到着したのは11日の15時ごろ。 ちょうど、石山公園から岡山城に向けて行軍がはじまるところでした。 まずは、宇喜多軍の集合&整列。
川沿いを行軍し、岡山城に向けて行進です。 勇壮な甲冑武者もいれば、烏帽子・陣羽織姿の小さなかわいい侍もいました。
岡山城に乱立する「児」の字の旗印には、まさに、武者震い。 往時も同じような景色だったのかと思うと、時空が縮まった感じです。
行軍は、主郭部の門を潜って、天守前に向かいます。
天守前で集結し、宇喜多秀家公のご挨拶のあと、「えいえいおー」の勝鬨で終了。 ここで鉄砲隊演武があるとおもっていたのですが、どうも午前中だったらしい・・。 残念無念。
帰り際に、引かれていく大筒を見ました。 これは、なにに使用されたのでしょうか・・・・。不明です。
今回、初めて参陣しましたが、桃太郎まつりの一部とは言え、多くの人で賑わっていて、秀家ファンが多いことが改めてわかりました。 備前岡山の地は、宇喜多、小早川、池田と領主が変わった地。 それぞれの治世でなにがあったのか、もっと多くの地元の人や歴史ファンがわかるようになればいいですね。 マニアックには、宇喜多時代より前の浦上氏や三村氏との争い、赤松勢との関係とかも面白いと思います。