法樹浄土宗知恩院派 見星山 法樹寺
(現地看板より)
浄土宗知恩院派 見星山 法樹寺。
天正6年(1578年)現在の東町に開創。*現地看板は天承となっているが「天正」のことと思われる。
竹田城廃城後の慶長11年(1606年)最後の城主赤松広秀の居住地であるこの場所に、生野代官所の寄進を得て移転した。
寛文7年(1667年)~貞享5年(1688年)の六世住職代に現在の本堂を再建し、門前の石橋は享保8年(1723年)に架橋されたと伝わる。
境内には赤松広秀公の供養塔がある。元は文政3年(1820年)竹田城登山道に建立されていた三十三観音も移設されている。
赤松広秀公の居館跡
以後、私見~
境内の左側の墓地を上に登ったところに赤松広秀公の供養塔があります。
赤松広秀公は秀吉に敗れた龍野城主赤松政秀の子。斎村政広とも名乗りました。
その上に開けた土地があり、地図上では赤松広秀公の居館跡との記載がありますが、看板のようなものはありませんでした。確かに、大き目の建物が建っていても不思議ではない広さとちょうど広秀公の供養塔から低めの石垣のようなものと階段でもあって登り口、玄関口にでもなりそうな空間があります。