Tweet 戦国争乱の地 本能寺の変後、織田家河尻秀隆が一揆で死亡し、無主状態となった甲斐を奪い合う天正壬午の乱。徳川家と北条家との間で争われたが、結果豊臣家のものとなる。甲府城はこのときに家康が平岩吉親に築かせたという話と、豊臣家臣浅野・加藤らが築城したとの説がある。 現在は、おおよその縄張りと堀や石垣、天守台、門などが復元されている。 Tweet 関連 2022-04-20