先日、第1回目の明石コースを開催いたしましたので、その時のルートをご紹介します。


午前10時に明石駅の改札前にて集合します。

最初に向かうは、高山右近重友が明石を治めた船上城
いまでは本丸跡がわずかに残り、そこに小さな祠があるだけ。
しかも、昨年行った際にはきれいな看板があったのですが、いまではそれも消え、社殿もいたるところがボロボロ・・・・。これで良いわけありません!明石市さん、大事な歴史を失いますよ!

次に向かうは、浄蓮寺
実は、船上城は高山右近が新しく築城したのではなく、それまでは別所吉親が林ノ城をここに築いており、それを改修したという説もあります。
その別所吉親が拝んでいたという観音像が安置されているお寺様です。
ちなみに、この途中にある宝蔵寺さんは、右近の時代に教会として利用されていたお寺と伝わります。

そして、次は北上し、明石氏の居城、枝吉城へ向かいます。
明石氏は古代の昔よりこの地に在住していた勢力のようで、播磨守護赤松氏や三木別所氏らの勢力、そして秀吉などと組みし、明石郡を領有してきました。その居城です。
いまでは、城域の半分以上が住宅地化し、遺構は神社裏の本丸跡の一部分だけです。
明石氏は秀吉が攻めてくると早々に?織田勢に組し、後に秀吉のもとで各地で戦功を上げ、秀次付き家老まで昇進しています。しかし、ご存知の通り秀次失脚に際し、切腹となりました。
ちなみに、備前宇喜多氏の家臣で大坂の陣でも有名な明石全登の明石氏とは家系の違う明石氏になります。

少し北上すると、下津橋構(城)
ここは、明石氏が平時の館として利用していたといわれる場所です。
現在は、お寺と神社が並んでおり、遺構は神社裏の土塁と思われる盛り土くらい。
周囲を細い水路が囲んでおり、これが当時の堀の跡であると言われています。

西へ5分ほどで、謎の城、出合城です
ここは本当に城があったかどうかは定かではないようですが、小学校に残る土塁のようなものや、裏手のお墓の地形(廓のようにも見える)、小学校正面の公園にのこる土塁のようなものなど、城を思わせるものが残っていることは確かです。

そこからちょっとばかり北上を続けます。
第二神明を超えて、さらに北上すると平野町福中というところがあります。
そこにかつてあったのが福中城
赤松一族の間嶋氏が居城とした城で、いまは完全に遺構が失われいてます。
寶珠寺さんに間嶋氏の墓所があります。

最後に、明石城へ戻り、ここで戦国メシです。
巡ってきた城のことなど、戦国話をしながら、腹ごしらえです。
**現在は、戦国めしは中止しております。

これが、明石コースの全容です。
他のコースを比較すると多少距離が短く、13時ごろには明石駅へ戻ってこれます。
明石駅から北へはなかなか行く機会が無いと思いますので、是非、一緒にチャリで巡ってみましょう!!

この日、ご参加いただいたお客様が制作された動画をご紹介させていただきますので、見てみてください!私もちょこちょこ出演してます。 笑



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