歴史本の読書感想文。
心に残ったことをメモ的にご紹介します。もし、興味がわいたら本を手に取ってみてください。

<ココロに残ったこと>
・本願寺=旧来的な宗教集団=信長の覇権の邪魔であり、徹底的に排除、は先入観
・信長は本願寺系の寺内町に対しても、段銭や矢銭の徴収などに応じていれば、”寺内特権”と言われる、諸役免除や徳政免除などの独立的な権利をそのまま保全。
・「信長の野望」を満喫している人たちは本願寺と言えば、最初から加賀尾山御坊や大坂石山御坊に本拠を持つ巨大な宗教勢力というイメージがあるが、時宗、日蓮宗、法華宗などと肩を並べるひとつの宗教団体でしかない。
・本願寺は政治的に将軍家や公家などに働きかけ、「勅願寺」、つまり天皇家とのつながりをもった寺になることに成功し、がんばってその地位を確立した。
・政治的に強力な力を発揮したのは、本願寺宗主である顕如・・・・ではなく、顕如の祖母にあたる慶寿院という女性。
古文書の言葉としてはっきり残っていないようですが、石山御坊からの退去要求が本願寺を徹底抗戦モードにしたのではないかという説。
・浅井・朝倉勢が京都の喉元・比叡山麓、坂本まで侵攻してきた時が、信長最大の窮地で、恥も外聞もなく、もろ手を挙げて降参している。

<感想>
本願寺との闘いは10年にも及びます。その間、森可成や信長の兄弟、有力家臣などが数多く討ち死にするという苦戦を強いられます。何度も”偽り、一時逃れ”の和議を結びながら距離を保ち、やっと石山を退去させることができるに至るわけですが、それも信長の力というよりは本願寺自身が自ら崩壊したという感じです。

と、こう書くといままでの教科書や歴史本と同じで、いわゆる権力者の目線から見た場合の歴史。

しかし、本願寺というのは宗教集団であり、門徒がいないと成立しないもの。つまり、”民衆”の力の代名詞なんですよね。寺内町には特権を求めて全国から民間の商人や農民が集まり、権力者も無視できない経済圏を構築する。
その民衆の力は強力で、本願寺が尾山御坊など地方に坊官を派遣しても、それが”支配”につながるのであれば、門徒は反発して統治などできないというありさま。

「信長の最大の敵は=民衆」だったということにならないでしょうか。一方で、楽市楽座などの経済政策に対しては民衆は賛成し、信長の味方だったはず。

そう考えると、そんな昔から”民主主義”であったのかもしれません、日本という国は。
しかし、今の”民衆”はある意味生活が満たされてしまっているが故に、そんな民衆パワーが無くなってしまっているのかもしません。

こういうときって、しばしば”外圧”が民衆の目を覚まさせることがありますね・・・



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