サンテレビさんの番組「4時!キャッチ」

加古川の街をぶらりする企画で取材がありました。放送日は3月29日(金)。

場所は加古川・称名寺(加古川城)。

ご存知の方もいるでしょうが、知らない人もいると思いますのでご紹介しますが、かつてここには加古川駅から南側一帯を治めていた「糟谷氏」の居城「加古川城」があった場所。称名寺さん付近を中心に東西南北約100メートル規模のお城がありました。

お城というと先日テレビであったお城選手権で1位となった、我が播州姫路城のような壮大な天守閣に大きく長い白壁を思い浮かべる方が多いかと思いますが、そのような城は全国でも僅か。戦国時代のお城というのはほとんどが天守閣などは無く、周囲に堀や柵を打ち立てた大きなお屋敷(「館」)か山の上に戦用に準備した山城でした。

加古川城は大河加古川を自然の要害・堀として、そして運搬・流通の要所として活用した館城。

加古川城に城主:糟谷武則公あらわる!!

織田家家臣、羽柴秀吉軍が播磨へ攻め込んできた頃、加古川城主だったのは糟谷朝正公。その弟が糟谷武則公でした。

羽柴秀吉が中国毛利攻めを播磨各地の国衆と合議したのが「加古川評定」。そこで、三木城主別所家が離反し、「三木合戦」が始まったという歴史のターニングポイント的な城。

兄の朝正公は別所家に従い、三木城へ出陣し、討ち死にしました。一方弟の武則公は秀吉方につき、後に羽柴秀吉と柴田勝家が戦った「賤ケ岳の戦い」で武功を上げ、「賤ケ岳七本槍」の一人として武名を馳せます。そんな「武則公」が加古川城に降臨です。

「出張!甲冑撮影サービス」

これまで書いてきた通り、加古川には非常に興味深い歴史があることを踏まえ、「加古川城で糟谷武則公になってみよう!」ということで「出張!甲冑撮影サービス」を行っていたところに、サンテレビさんに取材いただきました。

加古川城だけでなく、鶴林寺さんや明石城などどこへでも出張いたします。(ただし、場所の利用の許可等は別途必要です)戦国大好きな方々、ご家族、還暦の記念や七五三、会社・グループでの記念撮影など、用途はいろいろ。ぜひ、お問い合わせください。


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