兵庫ゆかりの武将はたくさんいます
2020年11月末まで、兵庫県立考古学博物館で開催されていた「兵庫ゆかりの武将たち」展に行ってきました。兵庫ゆかりの武将は数多くいます。
展示されていたのは、織田信長・足利義昭・武田勝頼・毛利輝元といった播磨の覇権を争った武将たちや大河ドラマ「麒麟が来る」で今後テーマになる明智光秀と波多野秀治・赤井直正といった丹波勢、さらに戦国の大合戦・三木合戦の主役である別所長治と羽柴秀吉・黒田孝高・竹中重治ら、そして機を一にして織田家に反旗を翻した摂津有岡・花隈の荒木村重などの資料や説明が中心でした。
肖像画や書状、武具や城郭遺構(瓦など)の逸品が展示されていました。
私にとっては、おおむね見たことのある展示内容でした。兵庫は五国が1つになった県ゆえ、兵庫ゆかりの武将は当然ながら他にも綺羅星のごとくたくさんいます。竹田城主の太田垣光景と主君山名氏、官兵衛の上司である御着小寺氏、宍粟の宇野氏、多可の在田氏、明石の明石氏・高山氏・小笠原氏・福中氏、加古川の糟谷氏・神吉氏・櫛橋氏・長井氏・・・・こういったより地域に特化した歴史を引き続き掘り下げ、発信していきたいと思います。
甲冑にも歴史があります
甲冑といえば、大河ドラマやお正月特番などで戦国時代のカッコイイ甲冑のイメージがあると思います。
色鮮やかで、個性が際立つ装飾を施した美術品にも値する甲冑ですね。
その甲冑にも発展の歴史があります。そもそも、「甲冑」のはじまりは弥生時代に遡ります。
それまでは狩猟民族として個々の一族・集団が協力して狩りをし、生活していものが、弥生時代に稲作が伝わり、より広いコミュニティーで協力することで効率的で豊かな生活をするようになりました。
人というのは強欲なもので、隣の芝生は青く見えるのか、他人のものを奪おうとし始めます。この時に戦闘用具として甲冑が使われ始めました。
兵庫県考古学博物館では常設展として、縄文時代からの古代の地域の歴史を学ぶことができます。そこには、当時使われていた甲冑(短甲・挂甲)や武器なども展示されています。
甲冑も突然に戦国時代の煌びやかなものが現れたわけではなく、太古の昔から、人々の生活様式や社会構造の変化に応じて、外来の文化や技術を急襲しながら進化してきているものです。
甲冑の歴史についても、ぼちぼち記事に出来たらと思います。