八上城主、波多野家の菩提寺

このお寺は、当初高城山(八上城)の麓で開山されたようですが、徳川の世になり、篠山城が築城されると今の地に移されたとのこと。

墓地の敷地に入らせていただき、皆様にご挨拶しながら少し進むと、右手に秀治公がいらっしゃいます。
秀治公と弟の秀尚公の辞世の句が刻まれていますが、それを読むにつけ、二人の無念さが痛いほど伝わってきます。

秀治公辞世:弱りける 心の闇に迷はねば いで物見せん 後の世にこそ

秀尚公辞世:おほけなき 空の恵みも尽きしかど いかで忘れん 仇し人をば


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