「ほうかべ」と読みます

淀山城は波々伯部氏が居城とした城。すぐ近くに、東山城があり、その他南山城、垣屋城など一族は反映し、城を多く構えていたが、波多野氏が台頭するにあたり、家臣となった。

遺構は非常に良く目検できます。個人的にはこの縄張りを作った人が非常にアーティスティックな人だったのではないか?というほど、防御をすると同時に、スタイリッシュというかダイナミックというか、退屈させない印象を受けました。


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