中世の城
時は建武年間、赤松円心の白旗城に後醍醐天皇の命を受けた新田義貞が攻め寄せてきた。白旗城の支城であるこの城(瓜生城)は赤松則祐が城主であり、新田軍の猛攻を耐え抜いた。結果的に、新田軍は白旗城を落とせず、退却した。
この戦功を称えて、足利尊氏が感状を与えたことから、感状山城と呼ばれるようになったことは有名。
羅漢の里から登山道が整備されていて、比較的楽に登城できます。
最初に目にする大きな岩の物見岩から郭が目視できるレベルできれいに残っている。
各所に石垣を用いた後も多く、積もった落ち葉から石列跡がのぞいたりなど、見どころが多くあります。