雲晴寺

明石城近くにあるお寺。
一時期明石藩主であった大久保家と里見家の関係により、この地に弔いの寺を建立した。

里見忠義は、大久保事件に巻き込まれ、謀反人とされて改易、若くして没し、南総の名門里見家は断絶した。
その際に、殉死した8名の家臣を「八賢士」として称えたことから、滝沢馬琴が南総里見八犬伝を著した。

ここには、明石藩の客分であった宮本武蔵の弟子の墓もあります。


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