関ケ原で討死した左近はいずこへ?

<淀川区コミュニティ協会発行 「YODOGAWAKUふれあいマップ」から>
木川墓地にあります。島左近は、石田三成の家来で、関ヶ原の合戦の時、活躍し、戦死しています。その妻の一人と娘たちは、ひそかに当地に隠れ住んだと伝えられています。道悦は、その子孫で中津川(今の淀川)治水の功労者で、慶安3年(1650年)、10年以上も寝食を忘れて働き、ついに改修工事を完成させました。その3年後、44歳で死亡、墓には彼の業績をたたえた、学者山本洞雲の名文が刻まれています。左近の墓は、道悦の子孫、島吉次郎氏が昭和9年に建立したものです。


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