名工、刀匠
城の内築地(つんじ)と呼ばれているこの地は、南北朝時代、太刀を鍛えた褒美として 足利尊氏から、当時の名工兼光が賜ったと伝えられている。一町(約100m)四方の壕をめぐらし、四方に櫓を建てた城に、代々鍛冶が居住し、鍛刀 したといわれている。文明15(1483)年、福岡合戦のとき松田勢によってこの城のほか周辺の民家までがすべて 焼き払われたことが「備前軍記」に記されている。永年にわたって作刀の地であったことから、この辺りの田畑からカナクソと呼ばれる鉄滓が 多く出土した。
瀬戸内市教育委員会(現地案内板より)