怪僧と呼ばれた武将

安国寺 恵瓊(あんこくじ えけい)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗の僧で、武将および外交僧[注釈 1]。道号(字)は瑶甫、法諱(諱)は恵瓊、号は一任斎または正慶。“安国寺”は住持した寺(安芸安国寺(不動院))の名で、安国寺恵瓊はよく知られた別名であり、禅僧としての名乗りは瑶甫 恵瓊(ようほ えけい)という。(Wikiより)

織田家との衝突の頃から歴史上に名が出てくる。秀吉らとの折衝を巧みに行った。
秀吉の天下後は重用され、禄を得て大名になったというが諸説ある。

ご存じのとおり、関ヶ原の合戦の折には毛利家の一員として布陣し、戦後処理で京で斬首されるに至った。
その墓が建仁寺の方丈の裏手にひっそりとある。


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