古代より歴史ある大和の地

大和の地、今の奈良県は古代の神々、天皇家始祖からの歴史ある地。かつては都も置かれ、南北朝では南部吉野に後醍醐天皇が南朝を打ち立てた地でもある。その歴史からか、この地では寺社の勢力が強く、特に興福寺一党が大きな力を持っており、事実上の支配者でもあった。

戦国期には寺社勢力ともいえる筒井家や越智氏らの国衆が相争う状態になり、筒井家が一旦は優勢となったが、後に台頭してきた松永久秀と争い、信長の支援を受けた松永久秀が大和国守となっていた。秀吉政権になると、秀吉の弟・秀長が大和、紀伊、和泉の100万石の太守として入り、城郭を拡大した。その後城主となった五奉行の一人・増田長盛が関ケ原で改易された後は、徳川家臣が代々城主を務めている。

遺構としては、結構広い城域・縄張りがあり、石垣や復元された隅櫓や門などを見ることができる。


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