大坂の陣の始まり

方広寺はご存知、鐘の文言「君臣豊楽」「国家安康」が「家」と「康」を断っている・呪っているというあからさまな難癖を徳川家がつけ、結果大坂の陣の発端となった地。あきらかに、争いごとを創り出そうとしていたように感じます。

ちなみに、方広寺という名前は江戸期まで文献に出てこないそうで、「大仏」と言われていたそうな。

で、この「大仏」。祟り?と言えそうなくらい、なんど大仏を造営しても、地震や落雷、火災事故などで焼失しているみたいですね。見えない力が働いているのでしょうか。
例の鐘は現存していて、目の前で見ることができます。当時の壮大な大仏殿などは、豊国神社裏の礎石以外は建築物は一切残っていません。国立博物館や三十三間堂の方まで広い敷地が範囲だったとのこと。東寺の南大門はここからの移築らしいです。


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