わずか30年ほどの威容

伏見城は、秀吉による隠居館建築から始まる。最近発掘された指月に築かれたものが最初の建造物。
慶長大地震で倒壊し、天守上部が崩壊し、死者が600名ほど出た。秀吉は無事で、その後に再建される木幡山へ避難生活をしていたとのこと。

木幡山に再建されたものが、秀吉の死後、家康が入ることとなる伏見城。関ヶ原前哨戦で鳥居元忠が守備したのはこの城。

一国一城令が出されたころに廃城となり、秀吉の時代からわずか30年ほどの短い期間の威容を誇った。伏見城は、地震倒壊後の廃材や廃城後の建築物が二条城や全国の様々な築城材として移築されたことで有名。(ただし、血天井含め、その信憑性はそれぞれ疑問が残るようです)


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