赤松氏

赤松氏とは播磨・美作・備前など多くの国の守護を務め、室町幕府では四職と呼ばれる重役の1つでもあった名家。
足利尊氏が後醍醐天皇を支援して鎌倉幕府を倒し、建武の新政、そして室町幕府を打ち立てた際に、播磨の小豪族であった赤松氏はそれを支援し、ここまでの名家へ成長した。
播磨地域では赤松氏の支族がどんどん増え、いまでもその血脈を受け継ぐ人は多くいることだろうと思われます。その赤松氏に与していたのが妻鹿氏。妻鹿氏は薩摩出身の氏族と伝わりますが後には赤松氏の支族の妻鹿氏も現れます。妻鹿氏は姫路南部の妻鹿城を拠点とし、播磨で生き抜いた。

赤松氏と妻鹿氏の神社

赤松系の妻鹿氏である妻鹿定頼は、赤松の「赤」と妻鹿の「鹿」をとって「赤鹿氏」と名乗った。1468年頃、家祖である赤松氏と妻鹿氏の祖先を祀るために「赤鹿稲荷神社」を創建した。
その後、江戸時代に入り1753年に姫路藩主であった酒井家が当神社を城内に移設しようとしたが赤松家の人々から反対され、御分霊を奉ることにしたという。
ここは分霊された神社で、姫路城北側八代に大元の赤鹿稲荷神社がある。


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