徳川四天王、本多忠勝
「本多忠勝」は三河出身で、古くからと松平家(のちの徳川家)に仕えたお家柄。
酒井忠次、石川数正、井伊直政と並び、徳川四天王と称され、「蜻蛉切り」という天下無双の槍を抱え、幾たびの戦場を積み重ねたが、一度も怪我をしなかったという天下の豪将。
武田家から「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と称された。
上総大多喜藩初代藩主(千葉県夷隅郡大喜多町)や伊勢桑名城主などを歴任した。嫡男・忠政はのちに播磨姫路藩の初代藩主となっている。次男・忠朝は大坂の陣の折り、酒の飲み過ぎで不覚をとり、取り返そうと猛攻した際に討ち死にしたことから、大阪・一心寺で「酒封じの神」として祀られている。
このたび、本多家の御関係というお客様からの御依頼で鹿角兜を創らせていただきました。
全体は黒が基調で、突盃形兜という頭がややとんがった兜鉢に、特徴ある幅広の大きな鹿角型の脇立て。やや広めで大きく広がる錣(しころ)に、獅子の顔をした獅噛(しかみ)が前立てとして付きます。前立てはご希望により金色となりました。