中国から伝わった戦の陣形

戦国時代、集団戦法が主流となると統率ある動きが勝利に極めて重要になる。そこで、日本の戦国時代よりずっと前の中国・三国志で有名な諸葛孔明が発案したと伝わる「八陣」を「戦術」に用いました。
簡単にいうと、相手の兵力や戦術、地の利などを踏まえて有利な陣形で構えて攻守を行うというものです。では、その八陣を1つ1つ見ていきます。

それぞれの陣形と意図

「魚鱗(ぎょりん)」

攻撃型の陣形。敵の本陣めがけて中央突破を図る。先鋒が崩れても次から次へと部隊を突入させ、数的不利でも一気に勝負をつけることができる。

「鶴翼(かくよく)」

防衛型の陣形。大きく翼を広げたように陣を敷き、中央突破してくる敵を包み込むように消滅させる。

「雁行(がんこう)」

遊撃型の陣形。雁の群れのように斜めに部隊を配置し、敵方の出方に応じて魚鱗、鶴翼などへ陣形を変化させて戦う。

「長蛇(ちょうだ)」

山中、谷隘路など狭い道を移動する陣形。蛇のように部隊を縦に並べて移動する。側面攻撃に弱い。

「偃月(えんげつ)」

三日月のように弓なりに部隊を配置。先陣と本陣(後方)の距離が近くなるので迅速な入れ替えや対応が可能。右側からの突破攻撃に鶴翼で対応することもできる。

「鋒矢(ほうし)」

攻撃型の陣形。魚鱗と同様に少数精鋭で中央突破するときの陣形。

「衡軛(こうやく)」

防衛型の陣形。部隊を互い違いに2列に配置し、攻撃型の陣形攻撃を受け止める。

「方円(ほうえん)」

防衛型の陣形。部隊を四方八方に円形に配置し、どの方面からの攻撃にも備える陣形。

陣形を如何に使うか!その時の様々な条件の把握と目的意識・発想力が大事。

以上、八陣を紹介してきましたが、御察しのとおり、それぞれの陣形には一長一短があります。
ゆえに、戦の時の様々な環境因子、敵の数、士気、予定される戦場(平地か山か)、戦の季節、自軍の訓練度、後方支援の充実化、などなど考える因子は数多くあり、それらを踏まえた上での相手との読みあいになります。

有名なのは武田信玄と上杉謙信が幾度も戦った川中島の戦い。中でも第4次川中島の戦い(八幡原の戦い)では多くの死傷者が出ました。信玄は「啄木鳥先鋒」と言われる戦術で妻女山に布陣する謙信の後ろ側に別動隊を派遣して追い出し、下山したところの八幡原で信玄本隊が鶴翼の陣で待ち受けました。ところが、謙信は諜報活動でこれを察知し、武田軍別動隊が来る前に山を下山し、霧に紛れて音も立てずに信玄本隊の前に出現しました。そして、本来防御の陣である方円の陣を活用し、方円のまま部隊が攻撃しては離れ、次の部隊が攻撃しては離れ、を繰り返す連続攻撃を行いました。(車懸りの陣とも言う)
不意を突かれた信玄本隊は苦戦し、山本勘助など重臣が何名も討ち死にしたと言います。(この時に一騎打ちがあったと言われてますが、それはまだ本当かどうか・・・)

以上の例のように、いつの時代もまずは情報を十分に集めて戦況を把握することが最優先で、それに合わせて如何なる戦術、方策をとるかを考えるのが勝利の確立を上げる方法であることが分かります。
いまでもありがちなのは、経営や自己啓発に関して、「xxxx戦略」とか「xxxマーケティング術」など横文字のコンサルツールとか多くありますが、それはあくまでも「戦術」と同じ武器の1つです。
その前に、自分が目指しているものは何か、長期で見た時にいまはどういったタイミングの時期かなど情報収集、分析、把握が先で、それにあった「戦術」を選択したいですね。(といって、自分に言い聞かせています。)


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