松永久秀、と言えば大和の国(奈良県)信貴山城を居城とした戦国武将。
一時は、三好三人衆とともに京を制圧し、天下を伺った。
三好家の乗っ取り、将軍足利義輝の弑逆、東大寺の大仏殿を焼く、という三悪事を行い、信長に3度も背き、最後は信貴山城で、信長が必死に欲しがった宝物の平蜘蛛茶釜に爆薬を入れ、自爆するという、なんとも破天荒な人生を生きた人物とされています。
しかし、実際は時の権力者や朝廷などともコミュニケーションを密にし、礼儀作法にも通じていた文化人の側面もあったと言います。
ちなみに、神戸の北野異人館の北側あたり、新神戸駅のすぐ裏手に入口のある山。布引ハーブ園などがある山ですが、そこは滝山城という城跡で、一時期松永久秀が居城としていたところです。
神戸の人もあまり知らないと思いますが、三ノ宮の都会のすぐ北にお城があるんです。
その久秀のお墓が、京都の妙恵会にあります。
京都駅からバスで北大路方面に乗り、堀川五条で下車。
松原通と猪熊通が接するブロックに妙恵会墓地があります。
ここに、久秀公と息子の久通公のお墓があります。
没後、400年以上もこうやって後世の人々に大切にされるような人物になりたいものです。