北丹波の猛者
赤井家は丹波氷上郡を領した武家。直正は次男として同族荻野家を継いで黒井城を居城とした。
その後、赤井家を継いだ幼少の甥を後見し、事実上の赤井家の支配者となる。
織田家に一旦降るが山名の侵攻を撃退したところ、山名が織田に泣きつき、丹波攻めとなったという。
明智光秀の丹波侵攻を八上城の波多野秀治と共に何度も撃退するが、50歳で病没したという。
黒井城は山の尾根の大部分を活用した山城。それぞれの郭や堀切、土塁などがまだしっかりと残っている。
主郭には破城されているが石垣がまだまだ残っており、雰囲気を醸し出している。
すべての尾根を踏破するのは1日ではかなりきついと思います。
この日は下館から登り、本城を抜けて千丈寺砦まで行きました。
東側の砦はまた別の機会に。
この日はたまたま黒井城まつりもやっていたのと、大河ドラマを想定して、多くの方がハイキングがてら訪れていました。