
兵庫県姫路市の北西部に安冨町がある。そこの中心地が「安志(あんじ)」であり、そこはかつて「安志藩」が存在した。
安志藩は享保2年(1717年)に、小笠原長興によって立藩された。
「小笠原家」は高倉天皇に仕えた加賀美遠光の次男、小笠原長清を祖とし、甲斐源氏として活躍、後に信濃の国を拠点とした平安時代からの名門。
安志藩は、小笠原家の嫡流の流れであるが、大阪の陣で秀政、嫡男・忠脩が討死したため、二男の忠真(忠政)が家督相続し、明石藩を経て小倉藩で栄えている。
「安志藩」の政治的中心地が「安志陣屋」である。「陣屋」は城よりも規模の小さな政庁のようなもの。1万石であっため、大きな城を創る許可も得られないし、そのような財力も当然無い。
現在の安志中学校が中心であったようです。そこから南へ家老や家臣の屋敷が並んでいたという。一番南には大手門跡の石碑があり、中学校には道路沿いに安志陣屋跡の石碑と看板があるのみ。南西にある真光寺には藩主屋敷の表門が移築されているようです。





