平家の栄枯盛衰

(案内板より)
寿永3年(1184年)、一の谷の戦いで敗れた平氏の将、薩摩守忠度(ただのり)が両馬川まで来たところ、源氏の将、武蔵国の岡部六弥太忠澄に討たれ、その亡骸を埋めたところと伝わる。


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