南北朝の争乱

いまは大蔵院というお寺になっています。
案内板には、「嘉吉元年(1441)赤松円心の孫、祐尚は大蔵谷に陣を構えた。居城を三木城に移すにあたり、陣屋のあとを寺院にしたといわれている。」と記載されている。(かなり、文字が薄くなってますが・・・)

お寺の墓地にお邪魔させていただくと、そこには赤松祐尚と妻のお墓があります。


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