家康の押さえの城

Wikiより

1609年(慶長14年) – 徳川家康は、松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、さらに新城の築城を命じた。これは、山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築くことによって、大坂の豊臣氏をはじめとする西国諸大名のおさえとするのが目的であったとされる。篠山盆地中心部の丘陵である笹山を築城地と定め、藤堂高虎が縄張を担当した。普請総奉行を池田輝政が務め、15か国20の大名の助役による天下普請により6か月で完成した。
1766年(明和3年) – 藩校「振徳堂」を建設。
以後、松井松平家一代、藤井松平家二代、形原松平家五代、青山家六代の居城を経て明治を迎えた。

(以下、私見)
いわゆる、関ヶ原後の近世城郭であり、その特徴的な石垣と堀がしっかり残っている。
本丸御殿がすばらしく復元され、手作り甲冑の展示などもされている。
城域だけでなく、周囲の城下町もきれいに保存され、観光としても力が入っているので、そちらも楽しみたい。


コメントを残す