山陽電車の別府(べふ)駅から南へ歩くこと15分くらい。
いまだ正確な位置が不明な城、阿閉(あえ)城、もしくは別府城があります。
阿閉神社や戎神社、多木化学など、ここが城跡だといわれいるところが多数あるようです。
これが今の地図ですが、確かに播磨灘から加古川に沿って流れる川と不自然に西方面に分岐する支流があり、これらが堀として作られたと言われれば、そうかなと思います。
また、すぐ西隣には浜の宮があり、周辺に神社やお寺も多くありますので、埋立地ではないようです。
この別府城は、秀吉の播磨攻めの時、三木別所氏から離反した別所重棟が入った。
毛利方が雑賀衆と合わせて8000で攻め寄せたときは、官兵衛がわずかな手勢で打ち払ったという話が残っています。
阿閉神社
ちょっと盛土がされているような跡、建物があったのか、礎石?のようなものがありました。
宝蔵寺
城跡らしきものは・・・・特に見当たりません。
西脇戎神社
こちらも・・・特に何も・・。
本庄構居
この本庄構居も幻の城、阿閇城の候補地の1つとされています。
現在は蓮花寺さんです。
播磨鑑には、「領主は菅原十三郎 古川次郎左衛門 嘉吉年中」とのみあります。
城の遺構は皆無ですが、播磨町の発掘調査が実施されており、堀跡や壺などが出土しているようです。
時代は弥生時代から戦国時代まで幅広いものが出ているとのこと。(播磨町HPに情報あり)
子安構居
幻の城、別府城の候補地の1つのようです。遺構はまったくありません。
平城は市街地化してることが多いので、あとかたなし・・・。