「義」は「勇」と並び、武士道で最も厳しい教え
「武士道」で最初に出てくるテーマは「義」です
「義」は次に出てくる「勇」と並んで、武士道の根幹をなす、最も重要且つ厳しい教えです。
「義」とは道理に任せて決断する心。
人が進むべき、まっすぐな狭き道。
仁は人の心なり、義は人の路なり。(孟子)
*仁(思いやりの心)は本来人が持っている心である、義は人が行うべき正しい道である
「義」に生きた上杉謙信
「義」と言えば、やはり上杉謙信。
「第一義」という言葉を掲げ、戦国の世を生き抜いた武将です。
越後の守護・関東管領という立場に立ち、関東では北条家、信州では武田家に追われ、助けを求めてきた小さな領主を「義」を以て助け、北条・武田と戦いました。多くの戦に勝つもその領土を広げることなく、「義」を貫いた武将です。(写真は上越市HPより)
四十七士の義士
言わずと知れた、赤穂浪士。君主・浅野長矩の不当な処罰(本来は喧嘩両成敗)に、家老・大石良雄以下四十七人の浪士が吉良義央の討ち取った事件。
内、四十六人は自害して散った。
「義」とは何か?
「武士道」という体系化された学問は、江戸時代に出来たものです。例に挙げた上杉謙信は戦国時代で、生きるか死ぬかの殺伐とした世の中、「義」というものがそれほど尊ばれはしない時代にも関わらず「義」に生きました。
赤穂浪士は、武士道の教育をしっかり受けた結果としての、義挙なのかもしれません。
さて、私たちの現代に転じてみると、どうでしょうか。
「義理」という言葉があります。本来は「正義の道理」という意味。しかし、現代では「義理人情」とか「義理チョコ」とか、世間が期待する漠然とした義務感?のようなものに成り下がっていて、本来の義理とは感覚がだいぶ違うように思います。
今を生きる、日本人であるわたしたちの「義」とは、どんなものでしょうか?
人それぞれの境遇、立場、環境できっと違う「義」があるのかもしれませんが、「日本人として」なにか共通して持つべき「義」というのがあるように思います。
その欠如が、何か政治・行政や経済、社会の荒んでいるような社会に変わってしまっている原因の1つかもしれません・・・・。
「武士道」の成立ち・全体感はコチラをご参照ください。