焼かれた仁王像

伽耶院は645年から続く古刹。
秀吉の三木城攻めの際に、全山を焼き払われました。その時に入口の門の仁王像も焼かれ、焼かれたままの姿を残しています。

<以下、HPより抜粋>
伽耶院について
山号 大谷山(おおたにさん)
宗派 本山修験宗
     聖護院門跡(京都)を本山とする修験道のお寺です
本尊 毘沙門天
由緒
縁起では孝徳天皇の勅願寺として、大化元年(645)法道仙人により開基されたとされる。
平安時代中期には数十の堂宇と百三十余の坊塔をもち、花山上皇の行幸があったと記されるなど隆盛を極めたが、安土桃山時代の羽柴秀吉の三木城攻めにおいて、当山に別所長治方の陣が置かれたことによる兵火により、また慶長14(1609)年には失火により、全山を焼失した。現存する堂塔は1610年以降の諸国大名の寄進によるものである。
古くは大谿寺(だいけいじ)あるいは東一坊(といちぼう)と称していたが、1681年に後西上皇の勅によりインドの仏陀伽耶(ブッダガヤ)に因む寺号、伽耶院(がやいん)と改めた。
中世以降、聖護院末の修験寺院として勢力をもち、江戸時代には天台系山伏を統率する四院家(いんげ)のひとつとして修験界に威をふるった。
現在も10月の体育に日には、各地から多数の山伏が参集し、近畿地方では最大の規模を誇る採燈大護摩(さいとうだいごま)が行われている。


コメントを残す