志方の城山
中道子山城は赤松氏の城。嘉吉の乱で赤松氏が衰退したのちは、孝橋氏が入っている。
織田家侵攻時は、城の斜面を自生する竹の皮を敷いて滑らせ悩ませたが、逆に火をつけられ、米蔵の米を撒いて消化につとめたが、あえなく落城という、なにか間抜けな伝説があります。
遺構は良く残っており、大手門門跡、各廓、虎口、伝説の米蔵跡である方形の土塁跡、井戸跡、など、かなり往時の状況をイメージしやすいです。
ハイキングコースも整備されていて、週末には家族連れが楽しんでいます。
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