嘉吉の乱、最期の地
前期赤松家は赤松円心則村が播磨、備前、美作の太守となり最も栄えた。
4代先の満祐の時、足利6代将軍義教の悪政に対抗するために将軍を弑逆したため、追討軍を播磨で迎え撃つことになる。
東は細川勢、西・北からは山名勢に攻め込まれ、各所で奮戦、最後はこの城山城に籠城するも、衆寡敵せず、一族郎党自害することになる。
古墳群がある北側から登頂しましたが、1時間30分はかかりました。岩場を長時間登っていくことになります。主郭付近には石垣や段々の郭跡が残っていますが、大軍を迎え撃つには少々縄張りが乏しいような気がしました。破壊されたのかもしれませんが・・。
帰りは主郭の亀山からすぐ下の集落に下る道を選びました。見張り岩を抜ける道です。こちらも岩場を降りていくことになります。
途中、ご高齢の方が一人佇んでいましたが、大丈夫だったのかな・・挨拶はしましたが・・・(あの時間から登れば真っ暗になるはず)
ちなみに、この亀山から龍野城のある鶏籠山のほうに尾根づたいにトレッキングもできるようです。