対龍野赤松戦

2号線沿い、姫路赤十字病院の道路挟んで反対側に自転車屋さんがあるので、その先を北に向かうとある公園です。
上ると小さな祠があり、そのわきをさらに上る道があります。
10分ほど登ると山頂に看板があります。非常に狭いところですので、当時の軍勢は1000人はいないとわかります。
東を向くと姫路城も見えます。

西を向くと当時の赤松勢が見えたはずですが、眼下の夢前川(当時は違う名前)の河原で激戦になり、重臣の母里武兵衛など母里家20名以上が討死しました。官兵衛はその恩を忘れず、養子を迎えて長きにわたって重用していますね。

この川の南側、車でも20分くらいかかるところに当時播磨三城と言われた英賀城があり、三木氏が英賀御堂を作って一大浄土宗城下を作っていました。その三木勢300ほどが援軍に駆け付けたことがこの戦の結果を変えることになりました。

その後、黒田勢は赤松勢を追って、青山古戦場とその先まで追いつけ、多くの赤松重臣を打ち取ったと伝わります。


コメントを残す