関ケ原後に一柳家が入る
(小野市HPより)
一柳家の三代直盛の次男直家は、予州川上(川之江)と小野をあわせて二万八千石を領していた。しかし、直家には嗣子がないため、家名断絶の危機となったが、関ヶ原の合戦などの軍功に免じ、直次を養嗣子として小野藩一万石に減封された。当初、敷地(現在の大部小学校付近)に陣屋を置いていたが、要害の地でないことから、現在の小野小学校の地に陣屋を移している。当地は段丘先端に位置し、東側の雁又池が堀の役目を果たしていた。陣屋内には、公廨庁、御西御殿、御手丸御殿、御隠殿、武器庫、その北方の現在の小野高校校地には藩校帰正館、米蔵、演武場などを配置し、その東には武家屋敷が続いていた。今そのほとんどが姿を消しているが、地形や町の地割りなどにその面影をとどめている。