三木合戦における激戦地

神吉城は赤松一族の神吉氏が築城し、代々この地を治める。
織田勢の侵攻の際には、三木別所氏の影響下にあったと思われる。
別所氏に従い、反織田の姿勢をとり、織田信長の嫡男・織田信忠(当時すでに家督を譲られており、織田家当主)の軍勢3万余に城を囲まれる。
神吉勢はおよそ2000の兵(領地から考えると実際は500~1000の兵に近隣住民や援軍が含まれていたと思います)で籠城。
しばらく耐えるも近親者の内通であえなく落城、神吉頼定は自害となりました。
この城の周りには、織田信忠、明智光秀、滝川一益、佐久間信盛といった織田家重臣がいたと思うと、武者震いです。

遺構としては、お寺があるのが本丸跡。お寺の方に聞いたところ、正門の両サイドにある石垣はコンクリート補強していますが、当時のまま残っているそうです。400年前の人が足をかけたでしょうね。

本堂左奥には城主、神吉頼定公が丁重に祀られています。ここ、加古川神吉の英雄です。

ちなみに、高砂に生石神社という不思議な形の大きな石がご神体の神社がありますが、そこの神主が当時、神吉頼定の弟だったようで、秀吉に陣所として貸し出すよう要求がきたのを断ったところ、焼き払われたと伝わります。


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