「柳川三年肥後三月、肥前、筑前朝飯前」

諸説あるが、元は筑後在郷の豪族・蒲池氏が築城したと伝わる。
タイトルにある通りの難攻不落の城だったようで、蒲池氏時代にも龍造寺・鍋島軍2万でも落とせず、後に大友家の猛将立花道雪・高橋紹雲らでも落とせなかったという。
秀吉の九州征伐後に、立花道雪の養子・立花宗茂が入った。

現在は、高校・中学となっており、城らしい遺構はあまりない。
しかし、水郷は残り、水郷巡りなどで楽しむことができる。


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