佐土(さづち)
播磨の国は御着。播磨三城と呼ばれた総構えの御着城があり、城主小寺氏が守護赤松家の重臣として戦国時代を生き抜いた場所です。
その御着城を貫いて走る国道2号線の南側にある福乗寺周辺がかつての佐土構居跡と言われています。
仔細は不明らしいが、天正の頃、1570年代から90年代くらいまで使われていたという。
城主は妻鹿氏の一族で、後に清水と名乗ったという。妻鹿氏は赤松家に仕えた武家で御着よりもう少し南の飾磨・妻鹿の地を本拠としていた。
いまはお寺があるのみで、居を想像させるような遺構は無いようだ。
このあたりは、西国街道が走り、お寺や旧家も多く城下町の雰囲気が漂う。