南北朝よりある山城
茶臼山城は、一説には嘉吉の乱で没落した播磨守護・赤松氏を打ち破り、播磨守護になった山名氏が築城したという。乱のあと、再起を期す赤松残党は播磨各地におり、ここ坂越では赤松教康、則尚らが攻めてきたが、それを茶臼山城を拠点に返り討ちにしたという。教康は伊勢で、則尚は近くの鹿久居島で斬首された。
いまは麓の坂越浦城も含めて、ハイキングコースとして整備されています。八十八か所巡りができる石仏様を巡るコースもあります。
城の遺構としては、上る途中にはめぼしいものはありませんでした。コースを外れて探索すればもしかしたらあるかも?
山頂は景色が良く、正面には秦河勝公が眠る生島と坂越浦が望めます。
なお、途中には同じく南北朝時代の武将・児島高徳公の墓所、和田範長の墓所もあります。