レンタカーを借りて、島原半島方面へ

肥前は長崎にもお城があります。
レンタカーを借りたら、高速に乗ってまずは、北東の大村市へ。
ここには、キリシタン大名大村氏の居城玖島城があります。

玖島城

肥前の城は、どこも海のすぐ近くに建てられています。

玖島城

続いて、大村氏が玖島城へ移る前に居城とした三城城。
現在は、麓に神社、本丸には戦時中の御霊を祀る珍しい形の社が建っています。

三城城
三城城

島原半島へ

次に、大村を離れ、島原半島方面へ。
こちらは多少有名な島原城があるところ。

島原城

車で大手門から入ると、有馬晴氏や天草四郎が手を振って出迎えてくれます。

島原城

城内の資料館には、他の資料館よりはかなり武具・甲冑の数が多く、並ぶ姿は壮観で見ているだけで武者震いです。

島原城

そして、島原城といえば、このView spot。綺麗ですね。晴れた青空でよかった。

島原城

このあと鯉の泳ぐ街を散策し、島原を後に。
さらに半島を南下し、向かうは南島原の日野江城。

日野江城は、有馬氏が領した城。この時は発掘・改修作業中で、大手道が整備されていました。
安土城の大手道の如く、推定100メートルの石段が存在していたようです。これを見ると、南蛮文化がここにあったのが想像できます。

日野江城

頂上の主郭からは、このあと行く予定の原城が遠くに望めます。

日野江城

天草四郎は豊臣家の末裔なのか!?

最後は、原城。教科書で習う「島原の乱」の舞台です。
行って感じたのは、城域がかなり広いこと。主郭付近以外は現在は畑などになっていますが、本来の城域は相当広いです。
そして、主郭付近は乱の後に幕府側が石垣や建物などを全部破却しているので、その状態で残っています。    

この城も、海の近く、というより海に面して建っています。 乱のときは幕府勢15万と伝わりますから、城の周りには大軍勢、おそらく海にも船団が埋め尽くしていたのではないかと想像します。

一説には、キリシタン側はスペインやポルトガルなど宣教師の国々が援軍に来るのを待っていたという話もあります。もし、本当に外国船が援軍に来ていたら・・・・・歴史が変わっていたかもしれません。

乱の主、わずか15歳の天草四郎は、この城で処刑されました。
この天草四郎は一体何者なのか。1つには秀頼の子供ではなかったのかという説もあります。
いずれにしても、由緒ある、もしくは相応の理由が無ければあれだけの元武将や信徒が死を賭して従うはずがありません。

肥前の城は、長崎市内にはほとんどなく、電車で行くにもかなり時間の制限をうけます。 原城に至っては、島原鉄道がどうも使えなくなっているようなので、長崎から車で行かれることをお勧めします。



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