賤ケ岳の戦い  天正11年(1583年)4月

近江の国(滋賀県)の北部。長浜よりも少し北へ。
ここは、本能寺の変後、織田家の後継者争いをした羽柴秀吉と柴田勝家が雌雄を決した激戦地「賤ヶ岳」。
この戦いは秀吉の勝利となり、勝家は居城の北ノ庄城へ戻り、妻となったばかりのお市の方(信長妹)と共に自害。お市の方と前夫の浅井長政との間に生まれた浅井三姉妹(茶々・初・江)は2度目の落城を味わうことになる。
そして、この戦いで目覚ましい武功を上げたものが後に「賤ケ岳七本槍」と呼ばれる秀吉の股肱の家臣たち。(加藤清正、福島正則、片桐且元、脇坂安治、加藤嘉明、糟谷武則、平野長泰)
実は、桜井家一、石川一光を合わせて9名だったとか、それは後の書物が勝手に言ってるだけで、石田三成や大谷吉継など主だった秀吉の家臣全員が恩賞にあずかったとも言います。

夕闇迫る、賤ケ岳を訪問

実は、この日は賤ケ岳よりもさらに北側、越前にほぼ入ったところにあった城、「玄蕃尾城」への訪問がメインでした。そして、その後に賤ケ岳へ来ました。
*写真は帰りがけに撮ったので、ほぼ夜になりました。

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登っても良いですが、この日は夕方だったので急いでロープウエーで山頂へ。

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上についてから、10分ほど登山して、山頂に到着です。
賤ヶ岳の合戦の説明版(でっかい)と七本槍の碑。

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この合戦のキーパーソンである(とされてしまっている?)、佐久間盛政の看板と「もうあかんわ・・」と疲れてしまった武士の方。

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北側に見えるのは余呉湖。
湖の右側の小山に高山右近、中川清秀の陣。
佐久間盛政は、湖南側、この山の真下を西から東へ迂回し、中川勢の背後を奇襲したといわれています。数千の軍勢が動いていたら、なんかわかりそうな気がするんですが、どうなんでしょう・・・。

2014-11-08 16.27.09

ここ賤ケ岳も戦国ファンなら必見のスポットですね。
近江の国は戦国メッカ。数々の有名な武将を輩出しているし、山城も数多く点在しています。
メジャーなところだけでも、長浜、小谷、彦根、佐和山、安土、観音寺、大溝、坂本、大津などなど・・・・。


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