Tweet 悲運の皇子 南北朝期、赤松家は嘉吉の乱で没落し、再興の機会を伺っていた。その折、北朝から南朝にある三種の神器を奪えば、再興を許すとの話があり、赤松遺臣たちは吉野にいる南朝の皇子の首をとり、勾玉を奪って播磨へ帰った。その時の御首をこの寺で葬ったようです。 ここは、赤松家が再興を果たした、重要なスポットと言えます。 Tweet 関連 2022-02-13