在地在田氏の城とも?

河内城は別名、別所城ともいわれ、後に三木で東播磨の太守となった別所氏の祖となる、赤松一族の別所頼清が築いたといわれている。書物にもそのように記載されていることが多いようですが、実際は加西~西脇、多可方面い勢力を誇った在田氏の領地内であり、在田氏の城であるとも。真実はいかに?!

城は麓の六處神社を入口にふれあい広場として整備されている登山道を進みます。
一山超えて、東屋を抜けたあとが、ようやく城域であり、そこまででも意外と疲れます・・・。
横長に郭を3つ並べた、非常に近代的?な縄張り。領域もそれほど広くなく、守るというよりは見張りや物資の貯蔵向きではないかと勝手に想像。


コメントを残す