悲運の皇子

南北朝期、赤松家は嘉吉の乱で没落し、再興の機会を伺っていた。
その折、北朝から南朝にある三種の神器を奪えば、再興を許すとの話があり、赤松遺臣たちは吉野にいる南朝の皇子の首をとり、勾玉を奪って播磨へ帰った。
その時の御首をこの寺で葬ったようです。

ここは、赤松家が再興を果たした、重要なスポットと言えます。


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